FNSうたの夏まつり『グレイテスト・ショーマン』再現メドレーで思ったこと:無意識の偏見、悪意なき差別

 2018年7月25日(水)、フジテレビの歌番組『FNSうたの夏まつり』のコーナーに、映画『グレイテスト・ショーマン』再現メドレーがありました。その際思ったことをツイートしたところ、予想外に多くの方に反応をいただき、改めて私が何を思ったのか書いてみようと筆をとっています。

 初めに、この記事は特定の誰かを非難、またどなたかの趣味・主義・思想を批判するものではありません。あくまで私が感じたことです。これを読んだ方がどう感じるかも、皆さんにお任せします。長くて拙い文章です。


 『グレイテスト・ショーマン』再現メドレーについての感想は、ここで論じるべきことではないと思いますので割愛します。(一つだけ言わせていただくならば、デビュー初期の若かりし頃と比べて、城田優さんの成長ぶりがすさまじく驚きました。まさに日本のミュージカル界の未来を背負って立つ方ですね!)


 私は普段歌番組(というかTV)をあまり観ないのですが、『グレイテスト・ショーマン』がすごく好きで、今日はたまたま時間があったのでチャンネルをまわしてこの番組を見ました。

 あれ?と思ったのは、メドレーが終わったあとのMCコーナーです。司会の男性が、レティ・ラッツ(演じているのはキアラ・セトルさん)役の渡辺直美さんにこんなふうに切り返しました。

「その格好でそんな真面目な話、しないでください」
(※言葉は正確ではありません。ニュアンスとして捉えてください)

 なぜこう言ったかというと、映画のなかのレティ・ラッツという女性は、大変ふくよかで顔にモジャモジャとしたヒゲがたくさん生えており(+映画では黒人の設定です)、渡辺直美さんはそれをそのとおり再現していたからです。
 つまり、“普通の見た目じゃない”=“奇妙な出で立ち”をしておきながら、話すことは真剣だから笑えてしまう、といった意味だったのかなと思います。


 でも、この『グレイテスト・ショーマン』という映画には、そういった世間の偏見や差別に苦しんだ人たちがたくさん出てきます。そしてレティ・ラッツは歌うのです。「This is me(これが私だ)」と。


 レティ・ラッツがメインとして歌う『This Is Me』は、マイノリティとして虐げられ蔑まれ自尊心を踏みにじられてきた人々の戦う心を表す歌です。女なのにヒゲが生えていて変だ、人より背が高くて変だ、大人なのに子供のように小柄で変だ、髪の色が変だ、目の色が変だ……そういった差別や偏見を受けてきた人たちが、突き進む姿を歌うのです。

*脱線しますが、この歌の練習風景動画がYouTubeで上がっていますので、興味のある方はぜひ観てみてください。私は何度観ても涙が零れてしまいます。*

www.youtube.com

 

 この映画を観た時、私はちょうど精神的に疲れていました。些細な言葉に傷つけられ、自信をなくし、辛いなしんどいなと沈む日々。そんな時にこの歌に出会って、すごく励まされたんです。私はこの映画から、どんな身なりでも職業でも人種でも性別でも、ありのままの自分で生きていくことは何も恥ずかしいことじゃない、というメッセージを受け取りました。


 おそらく司会の男性は、偏見や差別意識を持ってあの発言をしたのではないと思います。これは私の推測ですが、場を盛り上げる(つなぐ)ために何かコメントを、と思って、無意識のうちに発したのではないでしょうか。もしかしたら、彼なりに“場の空気を読んだ”のかもしれません。そしてそれを言われた渡辺直美さんも特に反論するでもなく、周りの出演者も微笑みを浮かべて、はたから見ると和やかな、よくあるテレビのワンシーンとしてその場は収まりました。

 それが私にはすごく違和感があり、また恐ろしく感じられました。このほんの10秒足らずのシーンに、無意識の偏見や悪意なき差別があると感じたからです。ものすごく太った人や、女性なのにヒゲをモジャモジャ生やしている人はおかしいよ、普通じゃないよ、そう思うことが普通である、という価値観が確かにあると感じたからです。そしてきっとこういう価値観は、大小さまざまながらどんな人の中にもあるものだと思います。

  差別や偏見は、簡単に目に見えるものだけではありません。ほんの些細な“当たり前”に基づく発言が、無意識に誰かを傷つけることは、たくさんあると思います。きっと私も知らずにそういうことをしてきていると思いますし、これからも絶対しないと宣言することはできないと思います。

 少し前、偶然にもある政治家の方が「LGBTは生産性がない」と提示したのが話題になりました。それを見た時は失笑するしかなかったのですが、今日この場面を見て、やはり偏見や差別がこの世から完全になくなることはないのだなと強く思いました。
 私個人としては、誰が誰を好きになってもいいと考えています。同性が恋愛対象で何がいけないのでしょう。どうして外野が、同性を好きになるなんて変だよ、と言う権利があるのでしょうか。好きな人を好きなように愛したらいい。その形がどうであれ、当人以外が口を出すべきことではないと思うのです。そもそも、人様の恋愛事情に口を挟みたがることがはなはだ疑問です。私は(現実に)好きな人がいないので、好きな人がいるだけで、すごいな〜素敵だな〜と思います。

  さて、突然私の話になるのですが、私はいわゆる“結婚適齢期”にあたる成人女性です。久しぶりに会う親戚や仕事先でのふとした話の流れで、「恋人は?」「結婚は?」と聞かれるのはもう慣れっこになりました。いません、と答えるたび「あら〜もったいないわね、でもまだ若いから大丈夫!」と返されます。そんなやりとりをするたびに思うのです。結婚していない私はおかしいのかと。子供をもたない私は変なのかと。 私は自分で稼ぎ、推しのために生きるオタクライフを存分に謳歌しているのですが、恐らく世間的にはマイノリティとみなされるのだろうと思います。そしてそうした“無意識の偏見”を、日々のふとした瞬間に感じます。
 すごく、刺さります。落ち込んでいる時は特に。やっぱり私おかしいのかな、急いで婚活したほうがいいのかな。でも別に結婚したいと思っていないし、子供はかわいいけれど産みたいとは思わないし、仮に産むとして仕事はどうするのか悩んでしまうし、いい年ですが結婚する覚悟をまだ持てそうにありません。

 それでも世間は問います。本当にそれでいいの?と。あなたの年で家庭を持たないなんて変わってる、と。それができないあなたには、どこか問題があるのかしら?と。直接口には出さずとも、そういう目で見る人はたくさんいます。自意識過剰と言われたらそれまでですが、ひしひしと感じます。偏見だな〜と思います。何年か後には、独身の割合が相当数になるとか耳にしますけどね。それでも世間的には20代後半〜30代で結婚し、子を授かるのがまだまだ“普通”なんだと思います。

 そんなふうに、ごく軽く思える偏見が世間にはたくさんあります。ましてや見た目が明らかに違うとされる人や、マイノリティに属していることを開示している人は、私などには想像もつかないほど、多くの言葉の刃で傷つけられているのでしょう。


 『FNSうたの夏まつり』のワンシーンを観て、はじめは何が起こったのか分かりませんでした。そして理解が追いついた時、ああまたか、どうせそんな簡単に世界は変わらないよな……と諦めの気持ちがわきました。
 でも、そこで諦めてはいけないんじゃないかなと思ったんです。

 自分は自分らしく生きている、彼らは彼ららしく生きている、それの何が悪いのかと、何がおかしいのかと、誰に迷惑をかけたのかと、胸を張って生きていきたい。そのためにただ嘆いて自嘲するのも、怒って他者を批判するのも、違うように思います。

 もちろん自分らしく生きるなんて、多くの人にとっては簡単にいかないはずです。挫けることもあると思います。バカじゃないのと笑われることもあるでしょう。それでも、誰かがそんな言葉の刃に傷つけられていたら、決して同調せず、そっと寄り添えたらいい。余力があるなら、傷つく誰かの盾に、剣になって、守ってあげられたらもっといい。そして自分が傷つけられそうになった時には、恐れず立ち向かえたらなと思います。すごく難しくて勇気がいることです。でも少しずつみんなで変わっていけたら、それがいつか大きな力になるんじゃないかなと思います。


 分からない、気持ち悪いと言葉で否定するのは簡単です。でも何から何まで趣味や主義や思想が一致する人なんているはずがありません。人と違うのが当たり前です。マジョリティーだと思っている自分が、気づいていないだけで実はマイノリティに属するかもしれません。明太子フランスパンが食べたいな〜と思ってコンビニに行ったのに、煮卵おにぎりを買ってしまうことだってあります。自分だって自分のことを100%わかっているとは言えないのに、他人のそれがわかるはずがない。わからないならどうするか。私は、その意見や思想を受け止める、許容することが大切だと思っています。


 長くなってしまったのですが、普段私はツイートする際、鍵をかけ検索よけをするのが基本でした。(腐女子なので、人様に迷惑をおかけしないようにという気持ちがあるからです。)今日も本当は伏字にして、検索に引っかからないよう、万が一にもバズったりしないようにツイートしようとはじめは思っていました。でもふと考え直し、ハッシュタグを使ってみました。私の投稿が、誰かに届いたらいいなと思ったからです。読んでくださった方、共感してくださった方(もしくは変なの〜と興味を持ってくださった方)ありがとうございました。


 時代は変わりつつあります。それは確かです。でもまだ変わらない部分もたくさんある。だけど、変えていかなければと思うのです。私たちで、少しずつ。


 急いで書きなぐったので、要領を得ない文章かもしれません。すべて目を通してくださった方がいらっしゃいましたら感謝いたします。
 最後にこの投稿が、悲しみや羞恥や怒りで傷ついた誰かの力に少しでもなれたなら幸いです。

 

 

※読み返してみたところ誤字と重複表現があり、恥ずかしかったので少しだけ修正しました。(2018.07.26)